明日がムリなら明後日を信じて

子どもの不登校で考えたこと。PTA問題で毎春が憂鬱なこと。人生折り返しで、思うこと。
Posted by Amii(あみ)

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願書を書き始める

長女はこの秋に帰国して、いよいよ大学受験をします。
先日手に入れた願書をナナに送りました。

昨年はどこでもいい、と言っていたのが
行きたい学科がかなり絞られ
第一志望、第二志望が受からなかったら行かないと言っていたのが春ごろ。

モモによると、第一志望が受からなかったら大学に行かないと
言ったそうです。


えー、そんなもったいない、受けて受かったところなら
行けばいいのに、と思わないでもないけれど、
自分の信じたことをやっていけばいいのだと思います。

昨年からいろいろ考えたのでしょう。
そして最善の道を自分で考えていくのでしょう。
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過去の経験は、未来への大きな財産

良くも悪くも私が歩いてきた道。
自分の過去を最もいかせるのは、私。


ナナの試験の結果が受けるたびによくなっていること。
喜びつつも、結果が良ければそれだけ期待をのせてしまっていた前回のことを、
よくよく振り返ります。

過去は、明日、明後日をよりよくするためのヒントが隠れています。

それを原因ともいいますが、
原因の追及に終わっては自己憐憫になって沈むほうへいってしまいがちです。


あのときこうすればああすれば、といくら後悔しても過去は変わりませんね。

でも、きっと時間が経てば自然に変わると思うのも、
楽観的すぎじゃないでしょうか。


ただ、何もせず子ども状態が良くなると、いうのは、
楽観ではなく、このごろ私は逃げだと思います。
何かするって、子どもに対してではなくて、
自分が持て余しているもの、
正視できないもの、のことです。

どんなに本を読んだり、どこかへ出かけて
対処方法を学んでやってみて、よくなっていっても、
うわべだけなら行き詰ります。
少なくとも私はそうでした。


私の場合、その行き詰りについて思いを深くしたのは
次女が復帰して時間ができてからのこと。
長女のときは、自分の抱えるものから逃げたので、
とにかく復帰がゴールだったので、そんなことはつゆほど思わず。


自分のこころにあるものを何とかせずに、
復帰という表面だけを見ているから、
新しい場所でトラブルがあるのを聞くと、不安に陥ってしまうのでしょう。


ホームステイ先でホストマザーとうまくいかなくなったとき、
遠くNZからかかってきた電話でナナに
「とうふ頭」と言われた私。
このときのことも、どんな本を読むより私にとって
大切なことが見つかるヒントがいっぱいあると思っています。


良い結果は、娘のもの。
私は自分のしたいこと、すべきことに心を向けようと思います。



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わたし、やめたいって言ったよね、とナナは

前回の続きです。


不登校になってから、ナナは数回わたしに言いました。
「私、塾やめたいって言ったよねって」
私はそうだね、などと短く応えていました。

それで、終わって「なんでやめさせてくれなかったの?」と
訊くことはありませんでした。
一度、強く「ね、言ったよね」と繰り返したことは記憶にあります。


しかし、それ以上ナナは私を追及することはなかったです。


やめたいと言い出したのは、受験塾にかわって4、5か月の頃。
毎月の成績は翌年の6月ぐらいまで右肩上がりでした。


今年、2度目の受験ですが、
中学受験のような長時間机に向かうようなことはありません。

帰国生入試は、経験重視、つまりは面接が大事なようです。

また、学校により扱いはちがいますが、
toiecなどのテストのスコアも書類提出します。

論文と違ってスコアがはっきりする、toiecの結果がでてきました。
中学受験のときと同様、右肩上がりに点数が伸びています。
もう少し、上積みできそうだとナナはいいます。


今のスコアで十分なのですが
もし、受けたいならチャレンジしてみて。
受験料は受ける人数が少ないので日本と違って何倍かしますが、
そんなことはいいから、自分で判断してね。
と伝えてあります。





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中学受験勉強していた頃の夢は「公務員」

今、人生2度目の受験の年であるナナ。

最初は小5の夏休みからはじめた、中学受験。
名古屋の場合、学校がそれほど多くないので
みな同じようなところを受けます。

校風がどうより、受かったなかで一番良い学校へ行く、
という感じでしょうか。


小4ぐらいに主人が特に勧めていて、
そのころはやらないと言ってたのが、
小5になって周囲に受験するという子何人かいて、
じゃ、私もとはじめたのでした。

自分の意志ではじめたので、
友達よりスタートは遅かったけど成績は右肩上がり。
どんどんみんなを追い抜いて行きました。

私はすべて順風満帆に感じていました。
家庭も、私の人生も。

子どもの成長が私の営業成績みたいに思っていて、
うまくいっているときは疑うことを知りません。

成績がいいほうが、娘だって嬉しそう。
将来の展望だってどんどん広がる。
今思っても、これでいけるならいいのだと思います。

成績があがって、親子ともども喜んで何も悪いことはない、と。

ただ、親としての在り方はかなりおかしなものでした。
もちろん、気がついたのは不登校になってからです。
あのときは、妹弟もこのように、
右肩上がりでいくことを願っていた私。

子どもの幸せと思っていたことが、
実は自分の幸せだった。

毎月のテストで結果が出ますので、
それを楽しみにはっぱをかけていた私は、
娘の気持ちから遠く離れてしまいました。

一度、やめたい、と言って塾をさぼったことがありました。

私には考えられませんでした。
やって結果が出ているのに。
最初主人が勧めた中学受験、だんだん私がのめりこんだ感じです。

結局親である私たちにやめせる気は毛頭なく、
塾の先生に説得されて続けることに。
塾長の先生にはとてもかわいがられ、ナナも慕っていました。
この状況で
本人にしたら続ける以外に選択はなかったでしょう。
まだ小5の素直な第一子でもあります。

気持ちが下向きでも、成績は反対にまた上がる、
結果も手伝ってなかったことのように受験の日々が続いていきました。



塾で先生が将来の夢を子どもたちに尋ねたことがありました。
長女は「公務員」と言ったそうです。
親戚や義父母にも、そう言います。

本当はほかになりたい、子どもらしい夢があったのですが、
言うたびに義父母から叱られました。
「医者か弁護士」というのが口癖でしたから。

ま、義父母はしかたないとして、
私たちも親として子どもらしい夢を温かく応援する気持ちはなかったですね。

今こうして、書いているとナナって
おとなの顔色ばかり見ていたんだな、見させていたんだなと思います。

子どもの幸福を願っていると思っていました。
改めて考えはしなかったけど、親だものそんなの当然だって。


ナナにしても、親の願いが自分の願いのように錯覚してしまったかもしれません。




今。
2度目の受験、大学入試に向かいながら、子どもの頃の夢のために努力しています。
「私はこれがしたいの!諦めない!」というナナ。
「行きたくない大学に漠然と通うぐらいなら、そっちを極めるからね、結果を恐れず」


良かった、自分の意思をそれだけはっきり言えて。

今度こそ、私は娘の後ろからそっとついていくからね。
困った時は振り返ってね、という思いです。
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帰国生入試に取り組むナナ

ナナは今年がニュージーランドで暮らす最後の年です。
入試のために10月のはじめには帰国予定ですから、
あと半年と半月となりました。

最終学年には、新規の生徒は入ってこないかな。
高卒資格と、日本での帰国生入試の資格要件のために留学する人は、2年の滞在。
交換留学は、最終学年では行わないでしょうから。
義務教育で学業を終える現地のクラスメートが抜けて、
少ない人数になっていると思います。

仲の良い年上の友達は帰国して、大学生です。
よく一緒にカフェへ行っていたそうです。

これまで、ホストファミリーやクラスメートとの人間関係で悩むことも少なくなかった
大変な時期もだんだん遠くなって、帰国と大学入試に向けての日々になるのでしょう。

お正月をはさんでの2カ月ほどの帰国の間に、
英文法や論文を勉強するために塾に通いました。
英語の資格試験は、すでに目標の点数が取れたのでひとつ課題が片付いた感じでしょうか。
その勉強は入試の勉強にもなって、模試の結果は上々でした。

模試は合格判定も出るのですが、
なにしろ特殊な試験なのであまりあてにはなりません。
当日一発勝負という点では一般入試と同じでしょうけど。

大学の説明会などは、本人が行けないので私が代わりに出かけます。



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