明日がムリなら明後日を信じて

子どもの不登校で考えたこと。PTA問題で毎春が憂鬱なこと。人生折り返しで、思うこと。
Posted by Amii(あみ)

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ナナの覚悟、地元の学校より留学を選んだとき

今日、家じゅうの片づけものをしています。

今秋、ナナが永久帰国することもあり、
子どもたちの部屋替えをします。

ここへ引っ越して15年。
いろいろ荷物も増え、今は不要のものも多々あります。
2世帯で暮らしていたので、捨てたいけれど
自分のものでないとうこともあって、
頭のなかが整理できません。

2世帯で暮らすために建てた家ですが、
義父は他界して、義母は介護施設にいます。
だから、ものを保管しておく場所もないわけではない、
ということで、何を残して何を捨てるか、難しいのですよね。
いろいろな基準はあるけれど、
迷った場合は一応空き部屋において、
保管場所に置ける分だけ置くことになるでしょう。

そんなことをしながら、
ナナが留学をきりだしたときのことを思い出しました。

ナナは4年あまり、一度も帰国せず行ったきりになる、と思っていて、
長い期間、親元を離れてやっていくそんな悲壮とも思える覚悟でした。
学年が終わるごとに一時帰国できることを知らなかったので。
留学についてはそればかりでなく知らないことばかりでしたが、
ナナは友だち(仲の良い子もいました)のいる地元の学校へ
戻るよりハードルは低かったのですね。

未知の世界への不安より、好奇心が強かったのか……
でも、
やはりそんなにも嫌なところになってしまったことが、
今でもわからないです。

一日学校に行って、ものすごく消耗して帰宅したナナ。
あのときは、今の元気のよさを想像できませんでした。

今になれば、不登校したことも留学したことも良かったと思えます。

何よりも、本人の意思が先にあったこと。
何度も確認しましたが、その意思を変えなかったこと。
私の躊躇をものともしなかった、その意思を貫く確固たる何か。

不登校の終わりには、
新しい道を行くぞ、という力強いナナがいました。
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ナナ、「連休明けには戻る」と言った 3



連休明けに学校に戻るというナナに、私はこう言うことができたのです。
「しばらく学校へ戻ることは考えない方がいいよ。本当に行きたいと思えるまで、考えないで休んだら。」
ナナの不登校から7か月。
私もやっと学校復帰にはこだわらないことの、意味が理解できたのだと思います。

理解はしても、制服姿の中学生を見るとこれでいいのか、という不安はやはりあります。
そんな時、私はつぶやきました、「大丈夫」と。繰り返し何度も。
ぐんぐん押し寄せる不安に負けまいと。

親である私ががナナの「今」を受け入れ、ナナの今後を信じなかったら、
誰が信じるのか。
都合の良い時だけ信じるのではなく、どんなときでも子どもを信じる。

今までそうしてこなかったのだから、意識しないとし続けないと、
元に戻ってしまいがち。

本屋やブログ、カウンセラーさんの言葉が、感覚的にわかってきたように思います。
本に書いてあることが、私の心に染み入ることは私の何かを変えることでもありました。

私の何かを変える、そこまでの考えはなかったです、今現在のような。
ただ、ナナが元気になって力強く歩むまで、
後ろに回ってしっかり支えようと、それだけでした。

とにかく私は後ろに回って、できるだけ口をはさまない。
でも、ナナが振り返ればいつでも私がいる、そういう親でいようと思いました。

そして。
私は4月の終わり頃、囲碁教室に通い始めました。
もう、心配すること、迷うことはなくなったからです。
ナナが家にいても、ずっとそのままではないと信じられました。
本当に回復するまで、待てばいい、楽しく日々を過ごすしながら。

ナナはそれからおそらく復帰を焦らず日々を送れたに違いありません。

ナナは、小6のときに転校していった友だちには、自分が不登校であることをようやく知らせたナナ。
ずっとそうしようと思いながら、できなかったのでほっとしたように、ナナは私に話しました。



連休が開けて、5月も下旬になっていました。
私は「大丈夫」を繰り返し、呪文のように唱える毎日は続いていました。

そして……
ある日、ナナは「私留学する」と言ったのでした。


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ナナは「いい子」でいるしかしょうがなったのかもしれない

不登校になる前、受験して入った私立中学にいた、ときのこと。


1学期は6日欠席しました。
遅刻もありました。たまたま私が家にいて、再度行かせたこともあります。

欠席の連絡で、担任と話した時のこと。
「係決めで、みんなが引き受けない仕事を受けてくれたり……」と言いました。
そんなふうに参加意識のある様子なのに、何が問題なんだろ?という調子で。
学校では、普通に過ごしていたようです。
トラブルのあった日も。
ただ、家では私はナナが何を考えているのか、わからなくなっていました。
帰ってくると不機嫌で、以前のようにすべきことをさっさとやらなくなって。
勉強をあまりしなくなったのは、
受験勉強の反動なんだと思うようにしていました。
私はガミガミ言うようになり、当然言葉は届かず、
言い合いみたいなことが増えていきました。


学校に通った最後の日は体育祭で、ナナは「その日は自分の出番があるので迷惑をかけられないから」
と登校したのでした。
その出番が終われば、もう私は学校に行く理由はなくなる、ということだったのでしょう。
9月の終わりでしたから相当に疲れはたまっていましたが、それでも周りのことを考えて、
不登校に入ったように感じます。


時間がたって、今思うのは、ナナはあの学校へ行く理由が見つからなかったのだと。
学校が遠い、とよく言っていました。
それは単に家から学校までの距離のことではなかったのでしょう。
ナナにとって、学校での存在価値は「いい子」でいることだけだったのではないかと。
自分が心からそうしたいのではなく、そうするより他になかったのではないかと、
感じました。



ナナは受験したことや、入学した学校について、後悔めいたことは言いません。
私立中学のときの友だちとは、未だに連絡を取り合っていますし。
制服も本人の希望で、保管してあります。










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ナナ、「連休明けには戻る」と言った 2


きっと親が学校へのこだわりがある限り、
かえってそのためにナナの復帰が遠のくのではないか、と。
回復を遅らせる結果になるのではないか。
2度○○から学校へ行くと言って一日しか行けなかった現実から、そう思わざるを得ませんでした。

そのとき読んでいた本、「ひきこもりと不登校」という新書です。
そこに納得できる記述がありまして、それは本のおわりのほうにありました。
不登校の回復の過程の記述があって、
印象深く何度もその部分を読んだので今もよく覚えています。

どんなことが書いてあったかというと――

不登校になって、いろいろな葛藤が続く。
それを山登りの、登る途中の苦しさに例えてありました。
学校へ行けなくなった自分、戻れない自分、みんなと同じ道を行けなくなったこと。
その葛藤から、そういう自分でもいいんだ、と思う、そういう達観した気持ちは
頂上へ着いたときのほっとしたとき。
下界から離れて静かに過ごす時間に、心が回復していくのだと。

ナナは表面は元気になったけど、未だ頂上に着いていない。
まだ途上で葛藤が続いているのだろう。
ならば、まだまだ登りと頂上での時間が必要で、おそらく十分休んで力を蓄えたら
きっと元気になって学校に戻れるはず。

だから、今は焦るまい。

以前と比較しても、かなり状態は良くなっていた。
良くなったり、悪くなったり、
葛藤と、達観を繰り返しているけれど、
常に以前葛藤した時よりは、エネルギーがある。
笑うようになったし、明るい色の服を欲しがった。
部屋も模様替えしたいと言い、絨毯はオフホワイトの明るい色になった。
私は汚れやすいよ、と言ったがこれがいいと譲らなかった。

グルグル同じところを堂々巡りしているようだったが、
決してそうではなかった。
螺旋階段を登るように、少しずつ上向きになってきている。
だが、新学期、新年度、という自分の状態とは別な軸を意識して、
でもまだ時期が来ていないからうまくいかないのだ。

理性では、私は納得できた。
時期がきたら、ナナはきっと自分の全てを受け入れられる。
そして既存の価値観とは離れたところで、十分休息できたら、
頂上からまたもとの下界へ戻るだろう。



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ナナ、「連休明けには戻る」と言った 1

2008年4月。

1日登校して、次の日。
朝、起したが重たそうに体を横たえている感じで、ああダメだなと思いました。

主人には起し方が悪いと言われたのです。
「なんで起きる?と聞くんだ。質問するな。朝は起きるのが当たり前なんだから、
質問はおかしいだろ。」

その次の日。やはり起きくて。
主人は怒って、寝ているナナのところへ言って叱りました。
暗澹たる気持ちで主人の声を聞いて、心が凍りつくようでした。
怒りはもちろん、私にも向けられていましたから。

今度もダメか。
あれほど、行くといっていたのに。
だいぶ元気になって、多少不安はあるものの、本人はずっと行ってたのだから。

学校に戻れると言い始めてどれぐらいたったでしょうか。
12月のはじめには塾に行くといい、行ってみたものの疲れはてて
私立の学校から公立への転校を選んびました。
勉強の進みが早い私立へ戻らないので、勉強の心配はなくなったけれど、
1年の3学期は1日しか行けず。
そして2年生から行くと言っていたのに、1日行って休みが続く。

友達が遊びにきたり、笑顔も増えてきたがそれでもまだダメなんだろうか。



学校へ行けない、か。そうか。またしばらくムリだろう。
諦めと落のが繰り返しあったけれど、1週間、2週間過ぎると、
考え尽くしたというか、本人が行かないものを
私があれこれ考えても仕方ないと思いました。

ナナも少しずつ、元気になってきました。
主人や私のピリピリやイライラがなくなってきたのと、呼応するように。

元気が戻って来ると、「連休明けには学校へ行くから」とナナは言いました。
また、区切りのいいところで戻ると言うのです。
それまでの間、私たちから復帰のプレッシャーをかけられないように、
猶予期間を作っているにすぎないと感じました。

もしかしたら、一度学校のことをすっかり考えなくならないと、心が本当には休まらないのかもしれない。
私はようやく学校へ戻る戻らないよりも、今、大切にしなければならないことがわかったと思います。
ナナのように、大人の意を汲んでしまうような子どもには、考えを変えないと伝わってしまうのでしょう。



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