明日がムリなら明後日を信じて

子どもの不登校で考えたこと。PTA問題で毎春が憂鬱なこと。人生折り返しで、思うこと。
Posted by Amii(あみ)

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読んでいて、うなづくばかりのブログ

読んでいて腹の立つブログもあれば、
あー、同じ同じと感じるブログもあります。

この人とは考え方が近いなあ、
とか
同じよな人がいる、と思うことで救われることもあります。





私だけじゃない。





人間、何がつらいって、自分だけ、たったひとりを感じること。
ブログでもいいから、
同じ苦しみ、同じ喜びを味わっている人を見つけると
安心したり、癒されることすらあるわけで。



暗闇をひとり歩いていて、ちらちら家の明かりが見つかったような
ほっとした気持ち。
それは何なのでしょう。


張りつめた感覚から緩み、
冷たさから温かさへ、
暗闇から明るい場所へ。

どうしたって、心地よいところへ行きたいのが人間。
仲間を見つけようとすることは、当然のことだと思います。




しかし、腹の立つブログを読んだ時。
嫌な思いを振り切ってしまったときに、何かをに置き忘れてしまうように
思うことがあります。


心地よいブログでは決して見つけられない、もの。


つまり。


神経を逆なでするような文章は、読み手の心の何かを映しているとも
思えるのですよ。


同じ文章を読んでも、人によって感じ方は違いますよね。

その考え方の違いは、意見を述べるときだけではなく、
読む時にも出てくるのです。


つまり、読みながら自分の考えをのせてふくらませていることもあれば、
その逆もあって。


同感できる内容のブログも、やはり読み手の思いをのせているわけです。


同感も違和感も、もしかしたら、書いてあることへ反応する自分自身が、
どうなのか、ということかもしれません。


違和感のある、心地よくないブログのほうが、
気づきのきっかけになるように思うこのごろです。



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読んでいて腹が立つブログ

例えば、ネットサーフィンなどで偶然目に触れたブログがあったとして。

読んでみたら、自分の考えとは合わない、もしくは自分が否定されているように
感じられるとして。




これは書いた人が、こんなものを書いた人がいけないの?といえば、
どうなんでしょうね。


もちろん、名指しでもしくは誰だか特定できるようなことではないですよ。
これは論外。


で、反対意見のコメを書いたとすると。
それはどうなんでしょうね。


ブログはその人個人のテリトリーだけど、
PW設定などがなく誰でも訪ねられるとなれば、
予期せぬ来訪あり得ます。

コメを書くところがあれば、反対意見が書かれることもあり得ます。


私などは、PTA問題であまりに理不尽なことが書いてあると、
たとえば、役員を引き受けないことを親失格のような書かれ方をすると、
コメを書きたくなりますね。
書いたこともあります。

でも、ま、個人のブログは一度だけ。
もう二度と書く気はありません。




何度か書いたような気もしますが、
ネット上のやりとり、会ったことがあってもなくても、
ないならなおのこと、
リアルの80%減でしか伝わらない、という考えです。


それは、なにかに書いてあった
会話で交わされることばは2割で、
あとはしぐさや口調などことば以外で人はコミュニケーションをしている、
という説によります。

それでも意図を伝えたい、となったら
なかなか大変なこと。
それだけの根気は正直言ってありません。



さっき例にあげた、私が書き込んだPTA関係のことが書いてあったブログ、
私が不愉快になったことに、書いた人は何の責任もありません。
当たり前だ~とどこかから声が聞こえてきそう(今はまっている韓流ドラマのキャラ)。


なぜなら
内容がどうあれ、そのページを訪れたのは私の意思、
その腹の立つ記事を読み始めて、途中でやめず全部読んだのも
私の意思ですからね。

ネットサーフィンしていたら、こんなことはあり得ます。
関心があるから、読んでしまう自分がいるわけですよ。
ムリに読まされたわけではない。



そしてブログを公開で書いている以上、
賛成のひとばかりが読んでいるわけではないってこと。
すっかり忘れていますが。


なんにせよマスコミではない個人のブログ、
ちょっと疲れたら私、休みます。
書き込まれて休みたくなるほど疲れたことは、たぶんないですけどね。















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読む読まないも、書く書かないも自分の意思

私はネットからすっぱり離れることも、好きというか、
そうしたくなることがあります。

ネット歴はまだブログがなかったころそれ以前から
はじまりました。

個人でそれぞれ掲示板をやっていて、
共通の趣味の友達のところへ書き込んだり、
来て書き込みをしてくれたり。

そんなやりとりを楽しんでいました。


前にもこのブログで書きましたが、
良いこともあれば、その反対もあって、そのつながりの中で
いろいろあってしばらくネットから遠ざかりました。
もう10年以上まえのことです。


近年、子どもが不登校になってからも
特別なことがなくても、
リアルな世界が忙しかったり、
心が深みにはまりすぎたり、
また単なるきまぐれ、気のりがしなかったりで
しばらくやめることもあります。

次女の不登校のときは、
ほとんどPCを開けませんでした。


ネットがあってもなくても、
どっちでもいいのかもしれません。
というより、
必要としないときもある、という感じでしょうか。


ブログをやめることは、
とりあえず考えていません。
日記は続かなかったのが、ブログなら書き続けられる。

やはり誰かに向って書くというのは、はりあいなんですね。
今日も、来てくださった方、ありがとうございます。



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アメブロで趣味ブログを書いてみました。

は~やっとなんとかできましたぁ。

今まで、メッセのやりとりなどのために使っていたアメブロ。
趣味ブログとして書いていくことにしました。

ここにも以前は書いていたけど、
分けたくなって。

よかったら、見てください。
Amii(あみ)のブログ
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人と出会い、人から影響を受けること

本を読むこと。
ブログを訪問すること。
人と出会うこと。

どれも、心の安らぎであり、心への刺激でもあります。

どっちかというと、安らぎ=自分を肯定してほしい気持ちが強い。
不安定なときほどそうなります。

ときに、びっくりするような話にでくわします。
予定外、想定外、よいほうの驚きでないときも、もちろんあって。
自分の価値観から越えてしまうようなときは、心がザワザワします。

心がザワザワするとき。
自分がよいと思っていたことが、揺らぐとき。
なんでしょ、それ?と頭にくるとき。
本にぼやいたり、PC前にブツブツ言ったり。
人から直にはあまりないことだけど、そんなときは
家へ帰ってから呆然としていることも、ありましたね。


今は、そんなときこそ、本当は自分が何か見つけられる、
いいことも、問題点も、どっちもですが、チャンスなんだなあと
思います。
なぜなら、ザワザワするもとは自分自身にあるから。


書かれていること、言われたことからのショックが少し和らいだら、
何にびっくりしたのか、
少し冷静に考えることは必要だろうなあと感じますね。
チャンスを生かしたいなら。

どんなに相手が偉くても、丸呑みはよくないでしょう。
ことばを消化して、自分としてどうするかの道筋は自分で考える。
子どものことについても、誰かがうまくいったからといって
それがいいとは限らないです。
影響は受けても、ちゃんと自分の考えでいかなくては、自分の人生なのだし、
自分の子どものことなのだから。

と、
ここまで書いていて思い出しました。
私に、母が誰だれがこう言った、ああ言ったと
自分の考えで言わなくて、すごーくイライラしたこと。
あんたは、自分の考えが、ないのか!って。

自分の考えがなくても、なんとなく生きていけるのは、
いいのか、悪いのか。
少なくとも、今の私は自分はこうだと、言い切れる人間でいたいです。

であるなら、やはりこれはいいことじゃない、と思います。






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