明日がムリなら明後日を信じて

子どもの不登校で考えたこと。PTA問題で毎春が憂鬱なこと。人生折り返しで、思うこと。
Posted by Amii(あみ)

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もうすぐ帰ってくるナナからの課題

「哲学を持つこと」
という宿題は、モモの不登校を経て今なお終わっていない、
あれこれいろいろあったけど。



そう思い知らされたできごと。




先日、日本の大学を受けてNZの生活にピリオドを打つ予定でいる
長女が

「私はA大学のS学科かB大学のL学科しか行かないけどいい?」
と言うのですよ。

え?
だって年末年始を挟んでこっちへ帰ってきた時は、
どこでもいいって、大学も学部学科も。
帰国生入試枠から考えていけば、受験機会は増えるから
何校か受けられる。
そこから行きたい学校順に選ぶで、それでよかったと思っていたのが。

その後、AOっていう方法もあることがわかり、
AO入試も視野に入れてあれこれ考えたのかなあ。
きっと東京や大阪方面のもう書類作成に入っている
名古屋よりひと月は早く始まるので。
そんな友達の様子を見て、いろいろ考えたのでしょう。


A大学S学科も、B大学L学科もなかなか難しい。

「ほかの大学にSもLもないし、ほかに魅力ある学科がない。」

うーん、そうか。

「もしどっちもダメなら、大学行かなくていい?」

と言われて、私は何を聞かれているかわからなくなった。
留学してから今まで、どっかの大学に行くことが当たり前になっていたから。

行かずに家で子どもの頃からの夢をかなえるために
時間を使いたいのだという。
今も着々と準備しているし、うまくいくようにとも思っている。
でも、大学に行きながらやるものだと考えていたが。

「落ちたら、専念する。
だって学びたくないことのために時間を割くなんて
もったいないもの。」

そうか、それもそうだ。


「お父さんに言っておいて。A大学、B大学に受からなかったら
家にいますって。
CとかDとかやりたくない勉強をして気の進まない会社に入るなんて
嫌なの。
自由に生きたいの!」


主人は、ある意味喜ぶわね。
その意気をほめるくらいかも。
でも、CでもDでもいいから、大学は行ったほうがいいって
言いかねないな。



それより私、なんでごちゃごちゃ主人の反応を考えているんだろ?
なんで、受かろうが受かろうまいが
ナナはナナだよ、何の問題もないって、
好きなだけ家にいてやりたいことに打ち込みなさいって
言ってやれなかったんだろ。



不登校になったとき、
どんな子どもでもどんな状態でも丸ごとOKって
条件付きの愛情じゃなく、
子どもがどんな道を選ぼうが後ろからついていくって
何度も何度も思ったのにね。


私が「変わろう」ったって、
一時的なものだったんだな、って思い知らされましたわ。
単なる一時しのぎ。

「哲学」になるほど、私の考えはしっかりしていない。
だから、いつまでも主人の言動を気にするのだし、ぐらぐらもするってこと。

そうなんだー。
と流しているわけにもいかない。
ナナは今秋永久帰国するのだから。



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「哲学を持つこと」方法は、本だけでなく

昨日のつづき。

哲学っていうと、本を広げて眉間にしわ寄せて考えるという
スタイルが思い浮かびますが。

昨日書いたネットの親の会の管理さんが言いたかったのは、
「自分の世界を広げ、自分自身の人生を歩くこと」であると思います。

本が好きで考えることが好き、若いころには心理学に興味があった
から、今もぼちぼち読んでいるわけですが私は。


家から出て、耳学問というのももちろん、
不登校関係の場に限らず、いろいろな場へ出ていく、
受け身でなく自分の意思で、というのが大事ではないか、と。

新しいことをはじめるのもいいけど、
今までのことを違った視点で違ったやり方で、というのもあるでしょう。
毎日の家事のようなことでも。


力強く自分の人生を歩くこと
そうするなかで、子どもとの関わり方も変化していくのだと思います。

精神的ネグレクトをしてきた私は、
子どもとの関わり方というか、気持ちに添うことはいつも忘れないように
しつつ。

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「哲学を持ってください」 ネット上親の会の管理人さんのことば

長女が不登校になったばかりの頃、
私はネット上のNPOが運営する親の会に参加し、
パスワードつきの掲示板内で、週の半分は書き込みをしていました。
どれぐらいかな、少なくとも半年ぐらいは。

残念ながら、その親の会はクローズしてしまったのだけど。
今読みたくても、自分の書き込みも読めないのです。

話は戻ります。

参加しているみんながスレを立てるわけじゃないけど、
私はスレを立てて、レスがきては書いてまたレスがきてと
ツリー式だから
私のスレは私の書き込みだけのレスなのね。

ほかの方はほかの方で、スレを立てて私もレス書いたり。

管理人さんは、自分の子どもではなくご兄弟が不登校で、
だから、たぶん20代だったのです。
ご兄弟のことがきっかけで、大学院で心理学を学んでいらっしゃって。
レスには、専門的なこともあり、単なる慰めではなく踏み込んだことも
書いて下さいました。


よく覚えているのは、「ゆっくりじわじわ」。
それから、家に柱があるようにぐらぐらしないためには
人には哲学だって、何度も書いていらっしゃいました。

親が哲学を持つ。
何があっても、平然としているには
平然としていよう、と思うだけでは無理がありますね。

ある程度その状況を客観的に眺めたり、
自分自身をしっかり支えるためには「学び」はとても役に立つ
ということだと思います。

学んでいたつもりでした、それでも。
そのころむさぼるように、不登校の本を読み漁っていましたから。


読んでは書いてあるアドバイスができないと、
過剰な受け止め方を勝手にして落ち込んで。
哲学どころではなかったですねえ。

渦中にいるときは、本を読もうが何しようが
目に飛び込むもの、聞こえてくる音、すべてが私を責めているようにすら
思えたこともありました。



長女は私が哲学に手をつけるまえに立ち上がり、
自分の幸せを求めて遠い国へ行きました。

それで、哲学のことはすっかり忘れてしまいました。


次女が不登校にならなかったら、
きっと
ほかの不登校に直面している親さんに
「大丈夫~きっと何とかなるって」と気楽に言う人になったかも。
いえ、
それ以前に不登校がなかったかのように生活し続けていたんだろうな~。

実際、長女がNZに行ってから次女が不登校になるまでの数カ月、
不登校から解放されてはずむように嬉しかった覚えがあります。


娘が不慣れなところで毎日苦労していたのに。


もちろん、管理人さんからのいわば宿題のような
「哲学を持つ」ことをさぼったお陰で、
あとからまた大きな揺れがやってきたことは言うまでもありません。
















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春休みの憂鬱

この季節のことで思い出すのは、
娘たちが区切りで学校復帰しようとしていたこと。

ナナもモモも、区切りまでは休みと言っていました。
ナナは中2になったら行くと言い、
モモは中学からは行く、と。


姉はたった1日行ってそれが日本の学校での最後の登校になりました。
妹はがんばって2、3週間行きましたが、ゴールデンウィークを前に
登校できなくなりました。

その直前の春休みは、ふたりとも元気はなかったです。
ナナの表情は冴えませんでした。
戻ろう、戻らねば、と思いながらも不安のほうが
大きかったに違いありません。

ふたりとも、節目でなんとかしようとするのですよ。
で、頑張りすぎることになって登校できなくなり、
また落ち込みの時期が続くことになりました。

主人はがっかりしていましたが、
私には本人がどれほどダメージを受けるのか
理解できるようになっていました。


何度か書いていると思いますが、
ナナが「ゴールデンウィーク後に登校する」、と言ったとき、
私は「一度学校のことは忘れてゆっくり過ごしたら」と言ったのです。
また、同じことになると感じたので。


私はそれまで早く学校に戻らないかなあと
本人には言わなかったけど、一日も早くという焦りがあったのですが、
ここで、もういいや、学校のことは頭から追い出そう、と
はっきりこころの中で宣言するような気持でした。

私の気持が娘に映っていたのでしょうか。
だから復帰しようとムリをしたのかな、わかりませんが。
私が学校に執着しなくなったら、私自身気が楽になったのですよね。


ゴールデンウィークは元気に過ごし、
その後も家で好きなことをしていました。
明るい色の服を着るようになり、
目に輝きが戻ったのは5月の終わりごろだったと思います。

私の気持ちの大きな変化と、
娘の状態が良くなっていくのがリンクしているように感じて、
何度も何度も思い出します。

この頃毎日こころのなかで「大丈夫、大丈夫」と自分に言いきかせていたことも。

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見守ることって簡単じゃない

ナナが帰ってきて、家にいると
やはり気になって言わなくても言いことを
いいそうになります。
言うこともあります。
ナナはやれやれという顔で返してきますけどね、
温かい返事ですよ、余裕です。



留学してひとりで毎日起きて学校へ行く生活を3年以上
続けているのに、
何を今頃ですよね。

話を聞いていると、それにもああしたら、こうしたらと
言いたくなりますが、
それは、なぜかと言えば私が安心したい、
楽をしたいからだと
客観的に見ている自分が感じています。

じっくり話を聞いて、なおかつ親が言いたいことを
言わないって、すごーく大変だと思います。
それができるって、かなりすごいことだと思うし、
私はこれまでちゃんとやってきたとは言えません。
今でも余計なことを言ってしまうし、
自分の思うことを言わずに聞き続けるのはなかなか
難しいと今更ながら思います。


よく「カウンセラーに見守りましょう」と言われて、
何も手を打たないまま時間だけ過ぎてしまう、
それでいいのか、というのがありますね。
カウンセラーとひとくくりにするのも申し訳ないけど、
本当にそういうふうに書かれていたりするので。

まずは、その「見守りましょう」というところ。
本でも人からでもいいけれど、
アドバイスをそのまま子どもの状況を考えずに
やってみるってこと、あるのかなあ。
どんなアドバイスも、それがどれだけ子どもに近い人でも、
親ほどではないものね。

よく出てくる「見守りましょう」への賛否。
これを徹底的にやり通せたら、すごいと思いますけどね。

我が家にとって見守るとはどういうことか。

私の場合は放任的だから、何も言わずに見守ることから、
関心までなくなっていくかもしれないです。
だから、気持ちに添うことを忘れないようにと
心します。しますが、それでも忘れてしまいます。
あれやこれやあって、今は子どものほうが
いろいろ言ってくれます。

「カウンセラーに」言われたというのもね、
どうなんでしょう?
言われてやってみて、良い方向に行かないときは、
うまくいかないときはまた相談しないのかな、と。
本を読んでやってみるのと違って、
定期で会っているのだから、聞けばよいと思うのだけど。

言われたままっていうのがね、わかりません。

聞きにくい人なら、別なカウンセラーに聞く方法もある
のですけどね。
スクールカウンセラーだけでなくて、
自治体や会社によっては健康保険組合にそんな窓口が
あることも。
調べてみれば、大金を出さなくてもいろいろあると
思います。

さて。

見守る、という中には、
いろいろなことが含まれていると思っています。
長いスパンで見て、回復しつつあるかの判断とか。
子どもが親を信頼できるような関係かとか。
子どもが安心して休息できているかなどなど。


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